このまえ見たテレビ番組でさ、心霊現象とか何とかいうやつなんだけど。
携帯でよくわからん文章をちょっと前に投稿したけど、それにゆられてたんだよね。
死んだ後にあるのは無だと思ってる、と思う、なんて曖昧だけど私はそんな気がしている。わけわかんないねこの文章。実際私の中がわけわからないんだからこれでいいとおもう。
だけど私幽霊って信じるのね。こわいけど。でも、リアルに信じているんじゃなくて、テレビの向こうと、霊能力者さんとかそういうかんじの人に関係あるって感じ。
体験してみたいなと思うぶん、夜に想像すると関わりたくないと思ったりね。笑。こわがりなんですまじで。
それでね、その番組に出てた人たちが前世について討論しはじめて、死んだ後の世界とかそういう話になって、ある人がこういったんだ。
「死んだ後に天国や地獄があると思っている人はそこに行きます、そして、死んだ後は無だと思っている人は無の世界に行きます。」
その瞬間私は自分の考えを棄てたくなったんだ。「信じて救われるのなら信じてしまいたい」は、それだ。
生まれ変われると、信じれば生まれ変われるなら私は信じてしまいたいと思う。
ゆらゆらその言葉に揺られて、その後で思い出した。私のこのいのちは一回だ。二度とない。稲葉さんの言葉が頭を掠めた。彼はとてもかっこいい、見た目じゃない。考えが。
そして私はどうすればいい?それはわからないけれど全部見たいと思った。ただ全部ひっくるめて全部の意見を見たいと思った。
なぜそう思ったかわからない。ただそれを信じながらあれも信じてこれも信じたいと思った。今ちゃんと文章にできない、あのときは心に強いものが出来ていたんだけれど、今はよく思い出せない、仕方が無い事だと思う。信じるという言葉の使い方がまちがっているな、この文章は。
信じて救われるのなら信じてしまいたい、ああそれはとても宗教じみているなと感じたんだきっと。
そしてあれだよ、それが悪いわけじゃないし、別にいいと思う。けどもうちょっとその外側もみてみたくなった。
それを信じるっていうものに入り込む前に、他のものをもっと見たいと思ったんだ。
殻にはいってしまうまえに外の世界をじっくり見てから入るかどうか決めようとおもったんだ。
そして私はたぶん、入らない。外の世界がわからなくても、「外の世界が在る」って事を、強く感じたから。
信じるってのは、自由だと思う。私も、信じるものはきっとたくさんある。
そしてその外に世界が在ることを知っていても、信じるものがあると思う。それを、絶対的に。
その絶対的なものが、あなたと私で違うだけだと思うんだ。
それは、悪いことじゃ、ない、そう思う。思いたい。
今日は本屋さんに行っていた。
そうだ、最近、授業中に国語の先生の話を聞きながら辞書をグチャグチャひいてて、心理学にとても興味を持ったんだ。
心理学っていうか、哲学と心理学のごちゃまぜというか。昔から両方興味はあったんだけど、何だかしっくりこなかった。
どっちかっていうと私は異常心理学とかそういう感じのほうに興味があると思う。どこまでも超現実的なものが好きというか。誤解をしてほしくないのは、その超現実的っていうのが「精神異常者」をさすんじゃなくて、「催眠状態/夢」っていう分野をさしてるってことだ。
でもよくよく見てみると「精神異常者」の分野もこれに含まれるらしい、ね。電子辞書どっかいったからわかんない…。・゚・(ノД`)・゚・。一回みただけではうまく記憶できない。怒涛の勢いで情報を頭にいれたから。
あ、ヤフーでひっかかった、よしきた。そうそう、「精神医学と重なる」事が多いって所がミソなんだ、とてもやりたいって思う。
ただそんななかに自分の色々「考える」って事は絡められるかって考えてみて、いろんな人の名前を辞書でたどっていってたんだけど、哲学者というか医学者というか、どっちにしろ色々考えて発表してるおえらいかたはいるのね。
まあどうでもいいけど、何をやるにも考えて纏めることをするのは自由なんだからその分野ってやってみたいなと思ったんだ。
けど本屋見てるといやだな、「●●の心理が手に取るようにわかる本」とかね、タイトルが悪すぎると思うんだ…別に心理学の本を買うつもりはなかったし、ただ本屋にいたかったから何度もおなじところを廻ったんだけど気分がよくはなかった。
まあ、仕方ないと思うし、その本の前置きにちょっぴりちゃんとかいてくれてれば嬉しいかな、完全に心理が理解できるわけじゃありませんよと。
で、まあ、とってもやってみたいなあと思ったんだけど。文学っていうかやっぱ心理学かなあ私は。
大学いくなら哲学と倫理と心理学はとりたい。欲を言うなら法学…だけど頭たりねーな。
どうしても自分の将来からは遠ざけようとしてたカウンセラーとか、精神科医って分野を素敵だなあ受け入れかけてた、ん、だけど、
やっぱこう、違うね。
いや、昔からその分野がいやだとかそういうんじゃなかったんだ、カウンセラー嫌いとか精神科医嫌いとかそうじゃなくて、ただ現実はおいておいて「自分はその立場になることは絶対にできない」だろうなって思ってたんだ。
そりゃあ文系だからね、とかそういうことじゃなくて、もしなっても自分なら絶対にムリだなって、そういう思い。
それが少し減ったかなって思った矢先、少しさっきかいた本よりもタイトルの優しい心理の本を手にとってみたんだけど…
うん、冒頭にかいてあった。全て心理がわかるってことではない、そういう考え方こそが間違っていると。
そこまでは良かった。読み進めるとリストカットについてのことが書いてあった。
吐き気がした、やっぱりだめだった。買おうと思った本も元に戻して、1時間以上いた本屋を出た。
だめだ、心理学?わからない。ひとつの例をあげて、それに照準をあわせて語っているんだけど。
違う、違う、そうばっかり思ってしまう。違うわけでもないんだと思う。
けど、本にするべきなのか?否、心理学に関する本としてのせるべきなのか?と疑問に思ってしまった。
一人の子がリストカットをした例をあげて、それをリストカットする大衆の人物の平均を割り出して、そこからなぜそのこがその行為に至ったのかを、かいてあるんだけど。
全てが断定的に供述されていて、それが「一人のその女の子」の体験を語るにしては、あまりにもひどいような気がしたんだ。
心理学っていっても、「じゃないだろうか」じゃなく「だろう」を連発されると、それはもう「心を全部わかってます」って書いてあるようなもんじゃないんだろうか。
その女の子一人について、いっそ妄想なんじゃないだろうかと思うほどいろんなことをかいてある。
たしかに心は複雑だ。だけれどそれは単純なものが沢山からみあっているからだ。
沢山のことがつもったから、複雑になるんだ。
誰にも完全にはとけない、なのに、その本にはまるでその子になったかのようにその本のなかで「その子の気持ち」を書き綴ってある。
怖かった。これが心理学?ちゃんと読むことすらできなかったけど、おそろしかった。
心理学という分野を、過信してるのは、どちらなんだろう。
読者に最初、「全てがわかるはずではない」と書いてあったというのに。その中身は心理学に酔いすぎているんじゃないかと思われるほどだった。
勉強はすばらしい。心理学を学ぶのはすばらしい。けど、「個々は違う」忘れちゃいけない。
私の中でもし心理学や他の分野を学んだとしても忘れてはいけない事柄だ。
だからこそ、その本が、それを失っているようで、怖かった。心理学だってその人を完全にわかりやしない。なのになぜ、なぜ。
ひどく吐き気がしたんだ。ちゃんと読まなかったわたしもだめだと思う。けどとりあえずそのときは、ちゃんと見ることができなかった。
受け入れかけてたものが全部もどされてしまった。
心理学ってこういう分野なんだろうか、そんなはずはないと思いたいけれど、そのような記述があったから、私はまたうまくその分野に歩み寄ることができなくなってしまった。
すぐなおす、つもり、だけど、今は逃げていたい。離れていたい。
でも落ち着いたらちゃんと向かおう。
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