「おのれ、いときなかりしほどより、書をよむことをなむ、よろづよりもおもしろく思ひて、よみける、…」(「玉勝間」二の巻)
これは、出来上がつた宣長の思想を理解しようと努める者には、格別の意味はない告白と見えようが、もし、こゝで、宣長自身によつて指示されてゐるのは、彼の思想の源泉とも呼ぶべきものではないだらうか、さういふ風に讀(よ)んでみるなら、彼の思想の自発性といふものについての、一種の感触が得られるだらう。だがこれには、はつきりした言葉が缺(か)けてゐるといふ、たゞそれだけの理由から、この經驗(けいけん)を、記憶のうちに保持して置くのが、大變(たいへん)むつかしいのだ。成る程宣長は學者(がくしゃ)で、詩人ではないのだし、學説の形を取つてゐる彼の思想を理解しようとすれば、これを一應解體(いちおうかいたい)し、抽象化してみることも必要だらう。彼の學説の中に含まれた様々な見解と、これを廻る當時(とうじ)の、或は過去の様々な見解との間の異同を調べてみるといふ事は、宣長といふ人間に近俯(ちかづ)くのに有力な手段であり、方法であるには違ひなからうが、この方法が、いつの間にか、方法の使用者を惑はす。言はば、方法が、いつの間にか、これを操る人の精神を占領する。占領して、この思想家についての明瞭正確な意識と化して居据る。例へば、研究者が、宣長の思想の系譜を數(かぞ)へて、純粋な國學を言つた人にしては、意外に多い、と言ふのはいゝだらうが、宣長自身にしてみても、しようと思へば、これを他人事のやうに數へる事は出来ただらうし、數へて少いとも言はなかっただらう、。とすれば、これはたゞ感情が合ふだけの話だ。だが、「あるにまかせ、うるにまかせて、ふるきちかきをもいはず、何くれとよみけるほどに」といふ宣長の個人的証言の關(かん)するところは、極言すれば、抽象的記述の世界とは、全く異質な、不思議なほど単純なといってもいゝ、彼の心の動きなのであつて、其處(そこ)には、彼自身にとつて外的なものはほとんどないのである。彼の文は、「おのが物まなびの有しやう」と題されてゐて、彼は、「有しやう」といふ過去の事實(じじつ)を語るのだが、過去の事實(じじつ)は、言はばその内部から照明を受ける。誰にとつても、思ひ出とは、さういふものであらう。過去を理解する為に、過去を事故から締め出す道を、決して取らぬものだ。自問自答の形でしか、過去は甦りはしないだらう。もしさうなら、宣長の思ひ出こそ、彼の「物まなび」の真の内容に触れてゐるといふ言ひ方をしても、差支へないだらう。......
(小林秀雄「本居宣長」 新潮社 『小林秀雄全集』 第十四巻)
び っ く り し た 。
おおおーって久々に思ったから丸写ししてみた。久々にっつーか自分が本を読まなさ過ぎるんだけど。
すっげー写すの時間掛かった…何せ漢字…。・゚・(ノ∀`)・゚・。肩こった。
本居宣長の話になっちゃってるんだけど、「過去」についての記述っつーか何つーかにおおって思った。
彼の學説の中に含まれた様々な見解と、これを廻る當時(とうじ)の、或は過去の様々な見解との間の異同を調べてみるといふ事は、宣長といふ人間に近俯(ちかづ)くのに有力な手段であり、方法であるには違ひなからうが、この方法が、いつの間にか、方法の使用者を惑はす。言はば、方法が、いつの間にか、これを操る人の精神を占領する。
過去の事實(じじつ)は、言はばその内部から照明を受ける。誰にとつても、思ひ出とは、さういふものであらう。過去を理解する為に、過去を事故から締め出す道を、決して取らぬものだ。自問自答の形でしか、過去は甦りはしないだらう。
見た瞬間何かわかんねーけど「プロだ!!」と思った(笑)そうなんだよ、そうなんだよそうなんだよー。
過去のことは自分で書いててよく思うんだ。あの曖昧さ、あの表現しがたさ。どう評価のしようもないし、しては逆にその結果に翻弄されそうになって、記述に自分の過去が捻じ曲げられているような気もちさえするんだ。
思い出ってやつに分析はきかないんだ。今の私は。そしてもう何ていうんだ…何か自分が語ったらうそになるようなきがするな…OTL
一回しか読んでないっていうのも理由だろうけど、とりあえず、これを誰か読んでて同じく「おおっ」って思ったらウチとよく似た事考えたことありますよって事だ(笑)
結構いっぱい居るのかもしれないな。それこそ皆思ってるのかも…けどそれを言い当ててくれたこの文章に少なからず自分は興奮しました。まる。
とりあえず、宣長の文章(玉勝間)が抜粋されてて、もしその話を知らないなら上の文章の流れがわかりにくいと思うんで、もし読みたい人居たら続きのほうにかいとくんで是非よんでみてください。
おのれいときなかりしほどより、書をよむことをなむ、よろづよりもおもしろく思ひて、よみける、さるははかばかしく師につきて、わざと学問すとにもあらず、何と心ざすこともなく、そのすぢを定めるかたもなくて、たゞからのやまとの、くさぐさのふみを、あるにまかせ、うるにまかせて、ふるきちかきをもいはず、何くれとよみけるほどに、十七八なりしほどより、歌よまゝほしく思ふ心いできて、よみはじめけるを、
(私は幼かった頃から書物を読むことをどんな事よりも面白く思って、読んだものだ。けれども、頼もしい師について、本格的に学問をするというものでもなく、何を目標に学ぼうと志すこともなく、この方面のことを研究しようと決めた方向もなくて、ただ中国や日本の、いろいろな書物を、あるのにまかせ、手に入るのにまかせて、古い書物や新しい書物の区別もせず、あれやこれやと読んでいるうちに、十七八歳になった頃から、歌を詠みたいと思う気持ちが出て来て、詠み始めたのだが、)
それはた師にしたがひて、まなべるにもあらず、人に見することなどもせず、たゞひとりよみ出るばかりなりき、集どもゝ、古きちかきこれかれと見て、かたのごとく今の世のよみざまなりき、かくてはたちあまりなりしほど、学問しにとて、京になんのぼりける、さるは十一のとし、父におくれしにあはせて、江戸にありし、家のなりはひをさへに、うしなひたりしほどにて、母なりし人のおもむけにて、くすしのわざをならひ、又そのために、よのつねの儒学をもせむとてなりけり、
(それもまた師について、本格的に学んだわけでもなく、人に見せることなどもしないで、ただ一人詠み出すだけであった。いろいろな歌集も、古いものや新しいものをあれこれと見て、形式どおりの当世風の詠みぶりであった。こうして二十歳過ぎになった頃に、学問をするためということで、京都へ上ったのであった。そのわけは十一歳の年に、父親に先立たれたのに加えて、江戸にあった、家の生業までも、失ってしまった時なので、母親の指図で、医者の仕事を習い、またそのために、ごく当たり前の儒学をも学ぼうということであった。)
ていうか今また続き打ってて思ったんだけど、最初のやつだけでよくないか…抜粋そこだけじゃんOTL
てなわけで面倒になったんでやめます(笑)もう書く必要ないよね。ね。
本居宣長の随筆、「玉勝間」です。
ただ、訳文はたまに嘘ついてるかもしれませんごめんなさい。的外れな事かいてたらごめんなさい。
最初の文章ともども誤字脱字には自信があります。誤字脱字してる自信があります。ごめんなさい。そればっかだ。
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