歌ったり絵かいたり文章かいたり自然に浸ったりするのが大好きです。
好きなことがありすぎてやりきれてないバカです。
最近はタイピングをまた真面目にやってみたいなとか思いつつ適当にしかやらないダメ人間です。
音楽・絵・文章・打鍵。
好きなものはたくさんあるけどほどほどにいろいろやってく蘭々の日記です。同人要素たまに。女性向けだよ。注意。
正直、もう全く先が見えません…地元の大学以外は基本的にE判定で帰ってきます、蘭々です。手前の偏差値をどうにかしろ。
この前の模試は我ながら笑えるほどわるかった…いえ、これが実力なんだと思います。 哲学科、行きたいけど、どーにもこーにも…です。現代社会とか、倫理とか、そういうのも含めてやりたいんだけど(哲学の古典の研究だけじゃなくて)そういうのができる所がありません…(つд⊂)エーン 確かに私の頭が弱すぎるのが悪いんだけど…!! 学費の安くて免除制度がある私立大学の、哲学科の推薦を受けてみようかなぁと思ってたんです。募集4人くらいだけどね。 おやに負担掛ける事考えたら、何だか受けるのもイヤになってきました…いや、落ちるのが解ってるから、イヤでもあるんだけど… 就職とかね、もう…哲学やりたいことばっかり考えてたけど、将来迷惑かけらんないしなぁ。 借金して大学行くわけだから、ちゃんときっちり余裕を持って返せるように、就職しなきゃなんないんだよなぁ。 哲学科なら、大学院まで行って、どっぷり研究していたかったんだけど。 弟は地元の私立に行くだろうからなぁ。 私のいきたい公立の学校は寮がないんです…お金高くて…行けない感じがぷんぷんするんです… 奨学金制度もイマイチだし、学費減免もよっぽどじゃないと…って感じで。 高校は速攻免除だったのにね!甘くないね!(泣) 看護とか福祉とか、そういう関係に母は進んで欲しいそうです。まあ一生やれるからね。 福祉関係でも資格とって、就職して…って。 因みに母は、どうしても私に地元に帰ってきて欲しいらしいんです…寂しいんだってさ…(遠) でも就職してからは私の人生だと思ってるから、それは私が決める事だと思ってた。 けどね、福祉とか資格とっても民間に就職する人多いよね。 地元で居れば、多分コネがあるんです。だからね、公務員にしてもらえるんだと思うんだ。 私は別に公務員になりたいわけでもなかったけど、母はそうなってほしいんだろうなぁ。 そう思うと、私は本当に早く母を安心させてあげたいし、ちょっとでも楽にさせてあげたいし… 近くに居てあげたほうがいいのかなぁとも思ってしまうのです。 アダルトチルドレン真っ只中だな!!(泣) あーどうしよお…… (´・ω・`)ショボーン 推薦どうしようかなぁ。 PR あの、80分で2000字もかけません…多分…
半分以上が要約だから書けんでもないんだろうか… ていうか書いたことないよ… 今日はくもん行って来たけど2枚しか解けなくて凹んでいる。 いやわかってたけどね。 むずかしいわ!(つд⊂)エーン 志望理由書とかも2000字も書くんですか…2000字も何を書くんですか…(← 2000字、好きなテーマでエッセイを書けってやつはちょっとやる気もあったんだけど。 志望理由を2000字ですか… 何かもう既にイヤになってきた… 国民を統治するのは国家の役割ってかいたけれど、
民主主義としては国民の役割でなくてはいけないような気がする。 けれど国民の共同体が作り上げた「国家」という規則に則って統治されるわけで、 国民は国家という枠組みの中に居るから…んー… 今の国の仕組みを把握できてないんだろうな。 結局国家と国民って今、どういう関係だろ。 それをまず考えるべきだった。それ解らなくて何書いてたよ… まず国家と国民って二つで考えるのが間違ってるのかも。 国家―…が、私の言葉では、共同体を指していたり、 ていうかさっきの文章が、最初のほうはちゃんと現実問題を頭に入れて書いてたんだけど、後のほうが明らかに理屈っぽくなってきたね… 初めて書いた小論文のお題は(ぶっつけ本番だったわけだけど)「これからの日本と私」
もともと考えてたものを無理やり応用して、結局テーマになったのは「国民の脱政治化と国家の教育」 転じて「あるべき教育」から、「私」につなげた。(結構無理やりだったかも) 教育ってのにどうしてもつなげたかった。夏休みの私は教育のありかたに対して非常に興味を持ってた。 教育ブームだった(笑) くもんが関係してきてるんだけどね。 教え育てるということもあるけれど、教えること全般が、不足している。 国家はもっと、国民にアピールしなくてはいけない。 そして私は一国民として、更に多くの国民に、国家をアピールできるようになりたい。(だから沢山学ばなきゃいけない) 単純に、国家を大事に思う国民は、多いほうがいい。 国民一人ひとりは、国家というものを超越した、人類だとか、人権だというものによって、自由な選択が出来る。 それは思想の自由だとか何だとか言われるものだったりして、正直「国家なんてどうでもいい、自分だけが好きなようにできれば」っていう思考をしたって、とっ捕まえられるわけじゃない。 大きな意味では間違っているだろうけど(国民の脱政治化や愛国心の欠乏は最終的に国家を傾かせてしまうから最終的に自分が大変な事になるだろうなぁ)、目の前の自由や幸福を求めるって所じゃ、別に私はダメだとは思わない。 それはあれでしょ、最近問題になってる少子化といっしょじゃない? 「私は結婚したくないもの」とか、「私はべつに子供いらないもの」とかね。 それが当たり前に国を傾かせていくけれど、子供を作れ!子供を産め!なんて国家は強要できないよね。 「当然国家の為に子供を産むべきだ」と考える人も居るだろうし、「そんなの個人の自由じゃない」って意見だって、たくさんあるよね。 だから国家を大事に思うかどうかだって、「個人の自由じゃない」で終わっちゃうことさえあるんだ。 そしてそれは必ずしもいけないことだろうか。私にはどちらの言い分も間違ってはいないような気がする。 そこで足りないのは、国家の「教える」姿勢や、国民へのアピールだ。 知らないところで勝手に色んなものが決まって、国が動いていく。そんな事は非常に怖い。(小論文でも書いたけど書いてるうちに何かちょっとニュアンスが変わってきたような気がする…) くもんをやってて思ったのは、教育や教える事は、「相手の興味を引き出す」って事も含まれているんじゃないかと思う。 「やる気がないものはやらないでいい」なんて姿勢は一見あたりまえのように見えなくもないけど、そうじゃない。 どうしてもやる気を起こさせる必要があるなら、やる気と興味がないものを排除するのではなくて、やる気と興味をみんなに起こさせる努力をしなくてはいけない。 国民の脱政治化、政治への無関心を問題に挙げるなら、まず、教えなくてはいけない。 知識なくして興味は沸かない。やる気も沸かない。全くちんぷんかんぷんな問題に自発的に興味を抱くのは、一部の人間だけのような気がする。 もう少し教えてみればいいのに。もう少し今の問題を、アピールすればいいのに。その端っこでもつかめれば、「それって何なの?」ってもっと、皆食いついてきてくれるんじゃないだろうか。 司法制度の改革の一環としての、裁判員制度の成立に良い印象を抱いていない人々は八割に上ったと記憶している。 その制度の意義や、改革の意義を、知っている国民はどれだけ居るだろう? 私自身、初めて聞いたときはそんなものはいやだし、面倒くさいし、できれば関わりたくないと思った。 裁判員制度の内容をメディアに流して、知らないうちに決定させて、その意義を知っている国民はどれだけ居たんだろう。 道州制と聞くと「またアメリカの真似ばっかりして」としか思わない国民は、どれだけ居ただろう。 そんなポピュラーな事ですら、その意義を知らない国民は結構居る。 もっとアピールしなくてはいけない。何が大事で、何の為に、国家は変化しているのか。 どのように変化したのか、どうして変化したのか、 ちゃんと言わなければならない。明らかに足りない。もっと国民に教えようとすれば、できるはずだ。 きちんと教えないと、当たり前に興味はわかない。多くの人々は、目の前の幸福と、今を生きる事に、必死だ。 日本人特有の「お上意識」も影響しているかもしんないけど。 政治への無関心、脱政治化、―そもそも国民の脱政治化をはかるのは国家の自然な動きでもある。 国民国家として(民主主義の精神を持ちながら)私たちの国家は在る。 国家として当たり前に、私たちの国家は国民の統一や、国民の普遍化を行ってきたじゃないか。 統治しやすいように土地柄や国民性を考慮した規則を作り、枠の中にはめて、根本的に共通の部分を持つ共同体を作り上げた。 国民の懸念する所を治めるのは国家の役割だ。国民を統治するのが政治だ。 んー、ちょっとわかんなくなってきたぞ。国家の定義をちゃんとしてなかった…OTL とにかく、人々を纏めて国家という共同体を作り上げた瞬間から、根本的な規則は国家に依存し(当たり前だけど)、今まで存在した個人が強く反映されるムラの自治みたいにはいかなくなった。 前に書いたことがあるかもしれないけれど、国民の集まり(共同体)が国家であるはずなのに、国民と国家が分離してしまう。 あー、今度考えよう、ややこしくなった。国家って言葉の使い方を間違っている気がする。 いや間違ってる。
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