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ずっと前、主観だとか、客観だとか、他者と自分の世界の存在だとかについて書いた時に初めて死ぬのが怖いということを深く考えたんだと思う。
「死ぬ」ということを掴もうとしたのは何度もあったけど、「死ぬのが怖い」ということを掴もうとしたのは初めてだったのかもしれない。
怖いなんていうのは私の感情なのに、その意味がわからないって不思議だよね。

イマイさんのおっしゃっていた「感知できない」という事について。
確かに、感じられるから感じられないのが怖い、のですよね。
なるほどと強く思いました。
私がよく「もしも」で考える恐ろしいことは、一生涯聴覚、視覚、触覚を奪われてしまう事です。想像するだけで恐ろしいですね。

視覚に関していうなら、暗闇に長く放置されると人間は狂ってしまうだとか。…友達が何回もそんな話してくれたような(笑)
確かに、目の前にあるはずの自分の手が見えない。自分が感じられない。
少しの間なら私という存在を確かに覚えているうちは大丈夫でしょうが、よくよく考えてみれば本当に恐ろしいことですよね。
特に視覚は機能しているのに、ただ暗闇で見えないっていうのが余計に怖い。
手を握っても、わからない。そこに私の手が本当にあるのか、触覚はあっても、視覚と一致しない。
私の胴体と頭と、腕と足とが全部ばらばらになって、暗闇に溶け込んでいく。崩壊していく感覚がリアルに…うわぁぁあ言ってて怖ぇえええ。想像しただけでもう気持ち悪くなりました。
おぞましいってこの事ですよね。感じられるものが感じられなくなる恐ろしさって、こんな感じで共通してるのかもしれない。

なら死ぬことっておぞましい事のかもしれない。少なくとも私にとっては。
確かに、ぞっとする。

そして、死ぬのが怖くないという事について。
今の私の感覚としては、死ぬっていうことは、怖いもの以外のなにものでもないような気がする。
ただ、考えようと思って、死ぬということを分解して、原子みたいに性質が伴わなくなるほどに細かくちぎって一つ一つ考えていってみると、「あれ?死ぬのって怖いんだっけ?」って感じる事もある。別に怖くないんじゃないのか、って。
ただ私の場合は機械的に、形而上的…非常に理念的に考えを積み重ねていったから、そう感じるのであって、私という生身の人間を考えたときに「怖くないじゃん」なんてのは中々言いにくい。(私はそもそも怖がりだ/笑)

哲学的思考っていうのは、面白いような、恐ろしいような。そして非常に無益な感じだってする。
数学みたいで、化学みたいで、私はそんな考え方が不思議で物凄く魅力を感じたんだ。私という人間は音楽だとか、絵だとか、芸術的、文化的、感覚的なものを好んでいたから。
物事を考えるにあたって、感覚や経験じゃなく、数学的にものごとを分解してきちんと定義して積み重ねていって、答えが出るという事を神秘的にすら感じていたんだ。
不思議だよね。終わりのないような作業を繰り返して、ひとつのものごとが完成するって、一人でやってる側にしてみたら凄く不思議じゃない?
ひとつの編み物を完成させるのに、今日は青ばっかり、昨日は赤ばっかり、前の日の継ぎ目が見えなくなるほどひたすらひたすら編んでいて、なんにちも経ってみたら虹色が出来上がってるのって、不思議じゃない?
機械的な作業が、遠くから見たら感覚的に捉えられるようなモノを生み出すのって、不思議。
イエスかノーかなんて、感覚で答えられるのに、それを裏付けるのが、地道な思考の繰り返しだなんて、不思議。
言ってることが意味不明で電波ですみません!(笑)初めてその不思議さを感じたときのあの感動を上手く言い表せない。
それはもう慣れてきてしまっているからかもしれない、でも不思議なの!!あぁっ、上手い喩えが思いつかない…
あの時の衝撃ってどんなだっただろう、思い出したい…けどこう、体の中身だけ昂ぶって空回りしてる、表現が(笑)そして話、逸れまくりました。
ていうか簡単にまとめすぎて寂しいんだけど、ぶっちゃけ帰納法で生きてきた自分が演繹法ってものに衝撃を受けたんでしょうね(笑)
演繹法の徹底ぶりってすごいと思いませんか。全部書いたものがやじるしで繋がってくの。連想ゲームみたいで。理論的で。最後に出る答えにノーと言わせないようなそんな威圧感がすごいよね。


非常に今印象に残っているのが、『自分の存在の探求、生きる理由の、自己の探求、果ては世界がなんなのか、わかんないのに何もかも感じない場所へ行く。消えてしまう。それって本能的に怖いことじゃないかなーとも思う』(引用ごめんなさいイマイ様…!!!駄目だったら言ってやってください!/ヒィ)

世界がなんなのか、わかんないのに何もかも感じない場所へ行く。
どう表現したらいいのかわかりません。わかりませんが、ものすごく私の中に響きました。


死を私も無と考えています。そして、やっぱり、感じなくなることが怖いんでしょうね。本当、イマイさんの言葉に強く感じされられました。感じなくなることが怖いっていうのは、「死ぬことが怖い」の大きな理由に違いないんじゃないかと思いました。
私は世界の中から私というものが無くなるという怖さを強く感じていましたが、確かに、世界とか以前に私として、私の感覚がなくなるのって怖いですよね。
今私と同居して、私を生かしている世界が、私を忘れ去ってしまう事にものすごく恐怖を感じていました。
世界というもののかかわりや記憶からなくなるのが怖いというのは、「誰か大切な人」のかかわりや記憶から私が忘れ去られてしまう事に対する恐怖に似ていると思います。

私が死んで、誰一人私を覚えていてくれなかったら、って思うと、恐怖を感じるのは私だけなのだろうか。
結構そういう人が居るのなら、その人も、世界から忘れ去られる事、怖いんじゃないだろうか。
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どうも・内容に関してのレスではございませんが、参考になればと思います。
 青年期の定義には研究者によって幅がございますが、18~20歳代とした場合次のように言われています。
 青年期は身体的に成熟に達する時期で、精神的
・社会的に独立した個人としての基盤が形成される時期です。
 特に青年期における発達の課題として「アイデンティティーの確立」が重要課題とされています。アイデンティティーは自己同一性とも言い換えられまして「自分であることを理解する」というような意味であると私は理解しています。思春期頃までは親などの重要な他者との「同一視」によって漠然と意識されていた自己が同性や異性の友人と関わる中で親離れをし、「他者と区別される自分」を意識されるようになるといわれています。このアイデンティティーの確率は失敗することもあります。そういった場合、他者と関わることに支障をきたすこともございます。進学や就職に伴う対人関係の変化の中で対人関係を上手く保てなくなると、孤独感や疎外感を生みます。
 私の場合この失敗をしたときに「死ななければ」という思いに駆られました。(当時19歳)
 統計では青年期は案外(?)自殺者(又は志願者)は多いです。
 アイデンティティーの確立の問題は自己の存在への問いへとつながります。そして死の概念を理解できるようになるのは青年期であるといわれています。

一般論ですから、ご存知のことを申し上げることになったかも知れませんが、(しかも思いっきりはしょったので余計分かりにくくなったかもしれませんが…/オイ)

自己の探求の果てに自己を見失うかもしれません、ですがご自身の存在への問いかけほどに重要なことも無いことも思っております。
イマイさんの引用を見て連想しただけですけど。

死ぬことが怖いんだったら、生きなければ良かったとお思いで?

と友人に聞いたら「ひねくれ者」と怒られました(笑)
2007/10/16(Tue) 01:03 *edit
レス有難うございます…!
はわわ、何度も参考になるレスを有難うございます…

アイデンティティと言われるとまたそれについても考えなくちゃなぁと思わされました。
私自身、まだ17歳ではありますが、アイデンティティの確立に見事に失敗している例だなぁと強く感じます。
レ様のおっしゃる「自分であることを理解する」=「自己同一性の確立」は、生きる上で多くの役割を果たしている自己の中の根底に、揺るぎない基盤となる自己自身を認識する事 だと私は理解しています。
あってるかどうかちょっと心配なのですが…あ、あらかた一致してるって前提で進めさせていただきます!(←

アイデンティティの確立が自己の存在への問いへと繋がる…というのを読んで、そのとおりだと思いました。そういう観点からも、ちゃんと見る必要があったんですね。
実際、アダルトチルドレンとされている私にとって物凄く痛い事なのですが、(笑/自己の在り方やその意義を母親に依存しているので、自己自身を自己の中に求める事ができないんだと思います)
ただ、もしかして私がアダルトチルドレンでなくとも、自己への探求は収まることはないのかもしれないな、とも感じました。

アイデンティティの確立というのは人間、青年として尤も「基盤となる自分」を認識する行為なのかも、と思いました。
そして、人間、主に自己というものの本質は一生涯を通して見つめていくものなのかもな、とも感じました。
自己とは何だろう、どのような存在だろう、どんな性質だろうという事ばかりをよく考えていましたが、それが「アイデンティティの確立」に向かっての考えであると認識してではありませんでした。(結果的にはそうなるものだったのかもしれません)
ただ「考える」だけではなく、その中に先ず、自己の同一性を確認するという目的を組み込んでみるということも考えなくてはと思わされました。

いろんな方のお話を聞くと、それだけ自分が考えなくてはならないことや、広げなくてはならない視野が当たり前のように、今まで見えなかった事が不思議なほど目の前にはっきりと、いくつもいくつも転げ落ちてきて、本当にびっくりしています。
今はもう、本当に、沢山のお話を聞きたいな、とばかり感じています。
貴重なレスをありがとうございました。
たった数日のうちに、自分が考えなくてはならないこと、当たり前に関連しているのに、全然気付かなかった事に、沢山触れることができました。
毎日が発見の連続になるんじゃないかとすら思えます。
本当にありがとうございます。またレス強請っちゃってもいいですか!(笑)

長々と書いちゃってすみません、あまりにも新しいことばかりで興奮しまくってるのがバレバレですね。心底嬉しいのですが…(←)
では、失礼します!
蘭々 2007/10/16(Tue) 22:51 *edit
死が怖いことに関する資料
資料
[死に関する意識調査](1987年・米)対象:30~60歳代の男女

1.来世(死後の世界を)信じるかどうか
日本 18%
オーストラリア 43%
アメリカ 67%
インド 93%

2.自分の死についての不安はあるか。
日本 86%
オーストラリア 43%
アメリカ 68%
インド 23%
(参考文献…不明です。探せば何か分かるかもしれませんが、探す余裕が無くて申し訳ないです。)

結構昔の資料ですが、死に不安があるということは寧ろ生粋の日本人なのかもしれません的なデーターでございます。
死後の世界を信じていない傾向の国民(日本)は、死に対して、不安を持つ人が多い傾向にある。
死後の世界を信じている傾向の国民(インド)は死に対して、不安を持つ人が少ない傾向にある。

日本は、無宗教が仏教が多いかと思います。
アメリカはプロテスタントが多いと思われます。
オーストラリアだって半分以上クリスチャンなんですけどね。
インドはヒンズーとイスラムといったところでしょうか。

キリスト教には原罪の思想があり、「死後裁かれる」ことを怖れるという解釈が出来るということです。アメリカのデータはコレが当てはまるんじゃないかと。
ヒンズーには輪廻転生思想があります。六道とか…リボーン辺りに書いてあったような奴です。いい行いをすればいい道へ転生できる感じです。死後どうなるか社会的に思想があるので、「輪廻が当然」のことなのでしょう。

どうでもいいですが、私は死後の世界を信じられない感じのクリスチャンです。なんかクリスチャンを名乗る資格が無さげです。死んだら骨と灰になりますが、出来れば土になりとうございます。

薪さんのおっしゃる恐怖とはあんまり関係ないかもしれませんね(汗)
2007/10/18(Thu) 19:13 *edit
レス有難うございます!
レ様、どうもこんばんは!
レスが遅くなってしまって申し訳ないです…考えてから…とか思ってもいましたが、中々あんまり頭の中で整理がつきませんでした(笑)

貴重な資料ありがとうございます。私にとって「死」とは怖いものであるので、各国の中でこんなに差があるとは思いませんでした。
死っていうものはこわくてあたりまえだ!って思ってました。なので、死に対する不安が少ないっていう気持ち、正直今でも全く実感できません。
まだ私は「死ってこわいものだろうふつう」と思っているんだと思います。何をして普通と言わしめるのかはわかりませんが、想像力がまだ足りてない感じです…。追いついてないなぁ。

キリスト、ヒンズー、イスラム教、仏教に関しては本当に教科書レベルしか知識がないので言及しにくいのですが…うーん。自分の家も仏教ですが、正直宗教についてはあんまりよくわかりません。
宗教なんて神道かじった事があるくらいです(笑)

宗教という面からでも見る必要があったんですね。どうしても、自分の中で考えていると、内面内面に思考が向かってしまうようです。
きっと宗教というものが私にとってあまり大きなものではないからだと思います。宗教に関してとても疎いですしね。だから、人の死生観だとかに繋がるとは思いつきませんでした。

日本人は仏教、無宗教が多いので確かに死に対する不安が強いのかもしれません。私の家は多分仏教ですが、私にそんな自覚はありません。
ただ宗教っていうものを思い出してみてふと感じたのは、確かヒンズー教に於いて輪廻転生は人々の恐れる所ではないのかな、と少し思い出しました。曖昧な知識なので間違っているような気がして不安なのですが…ヒンズーでしたっけ、仏教でしたっけ…
仏教やヒンズー教に於いての解脱、についてだったと思います。仏教とヒンズー教では多分「解脱」の概念が少々変わってくるような気もするのですが…詳しくないのでその辺りは誤魔化させてください。
ですが、転生することはこの現代においては「嬉しい」と感じる人が多いのかもしれませんね。
確かに私も、小さいとき生まれ変わりたい!って思ってました。

輪廻転生、死んでも何度も生まれ変わり、この苦しいこの世に生きなければいけない事を嘆き、その永劫の苦の繰り返しから逃れる為に、宗教があった…という事だったと思います。
現代に於いて過半数の人が「生きていることが辛い」だなんて思わないとは思います。
仏教においては死んだ後に「極楽浄土」へ行く為に念仏を唱えたり何たりするっていうものだったと思います。
仏教についてよく調べたことはありませんが、歎異抄の「善人なおもて往生を遂ぐいわんや悪人をや。しかるを世の人つねにいわく、善人なお往生す、いかにいわんや善人をや」が印象に残っているので、あらかたそんなものかなぁと理解しています。
死んだ後極楽浄土へ「往生」することが、この宗教の目的っぽいものなのでは、と思っています。それはヒンズー教に於いて、輪廻から「解脱」する事と非常によく似ているようにも感じます。
ただ、本当に宗教に対する知識不足なので、「良い事をすれば良い道に転生できる…」という考え方で輪廻を理解するとするのなら、死が怖くないのも考えられるかなぁと思いました。
宗教ができたてのときとはやっぱり全然環境も違いますしね。宗教も人の手によって変えてこられたものが多いので、とり方はさまざまなのかもしれません。
キリスト教に関してもほぼ無知に近いのですが、あのミケランジェロの有名な「最後の審判」を見る限り、裁かれ「天国行き」か「地獄行き」を命じられるものだと思っています。
もしヒンズーの輪廻を「良い事をすれば良い道に転生できる」と捉えるのであれば、もちろん逆に「悪い事をすれば悪い道に転生できる」という捉え方もできるわけで、「良い事をすれば天国に行き、悪いことをすれば地獄に落ちる」というキリスト教の考えと似通う点もあるにも関わらず、「死に対しての不安」にここまで差があるのは少々疑問にも感じられます。
ヒンズー教は転生、キリスト教は天国か地獄、という差がありますが、キリスト教の「死へ対する不安」が「死後裁かれる事」への恐れからの可能性が強いと考えるのなら、自分のしてきた事によって次の生が悲惨なものになる可能性のあるヒンズー教も、同じくらい恐れてもいいんじゃないかなぁ、と感じました。(やはり宗教を信じている立場としては私とは全然感じ方が違うのでしょうか…)
どちらかというと身近なのは仏教なので、私にとっては過酷な次の生より、極楽浄土で幸せに居たいという気持ちもあったりするので、そう感じるのかもしれません。

この貴重な資料とレ様のお考えでいろんなことを考えさせて頂きました。
でもやっぱり、私にとってこの問題は宗教を絡める必要はあっても、もう少し大きな何かが関係してるんじゃないかな…と漠然と思ってみたりもしました。
それぞれの宗教を理解しないうちには解決できない事なのかもしれませんね。
宗教に対する興味と、学びたいという意欲を強く掻き立てられました。本当に勉強してみたいです。

毎回貴重なレスをありがとうございます!
また何か私がうだうだしていたら教えてやってください。自分の狭い視野が少しでも広がっていくこと(そう思い込んでるだけかもしれませんが)が、凄く嬉しいというか、毎回わくわくしています。
蘭々 2007/10/21(Sun) 23:04 *edit
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