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プロフィール
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蘭々
性別:
女性
職業:
学生
趣味:
いろいろ
自己紹介:
B'zをこよなく愛します。
歌ったり絵かいたり文章かいたり自然に浸ったりするのが大好きです。
好きなことがありすぎてやりきれてないバカです。
最近はタイピングをまた真面目にやってみたいなとか思いつつ適当にしかやらないダメ人間です。
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最近はタイピングをまた真面目にやってみたいなとか思いつつ適当にしかやらないダメ人間です。
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音楽・絵・文章・打鍵。
好きなものはたくさんあるけどほどほどにいろいろやってく蘭々の日記です。同人要素たまに。女性向けだよ。注意。
切実に教えて貰いたい。誰かに聞きたい。
メールでもレスでも何でもいいから、思うまま誰か答えてくれないでしょうか。 正解とか間違いとかじゃなくて、感じ方って沢山あるんだろうね。 ただ今の私は想像ができない。みんながどう感じるのか、どう思っているのか。 結局聞きたい事っていうのは、 「あなたにとって死ぬということはどこが怖いですか」 死ぬということは何だろう、っていう事にも繋がってくるかもしれないけれど、それは生命倫理とかさえ絡ませちゃうことができそうだから置いといて。 みんな、死ぬってどこが怖い? とにかく怖いとか、みんなにあえなくなるのが寂しいからとか。 人それぞれなのかな。それともみんな同じような気持ちがあるのかな。 死ぬって何処が怖い?本当に何処が怖いって思う? あなたにとっての「死ぬ」の基準でいいから、その「死ぬ」って事は、どの辺りが怖い?それとも、怖いと感じない? あなたは今死にますといわれて、それがイヤだと思う人は、どうしてイヤだ? 知りたい。どうしてだろうなぁ。死ぬってどこが怖い? 別に痛くも苦しくもないとしたら、どこが怖い? 私という人間が機能しなくなることが怖い。 私の存在がこの世界から消えてしまうことが怖い。 世界から私が放り出されるのが怖い。 私にとって結局、死ぬのが怖いのは、私がこの世界から消えてしまう事が、怖いからなのかなとぼんやりと感じている。 世界が進んでいくのに、私の時間は止まって、わすれられて、なくなることが怖いのかな。 あなたはどうですか?どの辺りが怖いですか?全然違いますか、もしかして一緒ですか。 誰でもいいから考えを聞かせて欲しい。どうなんだろう、私以外の人たちは、死ぬということのどこが怖いのだろう。 PR この記事にコメントする
日記の件について
お久しぶりです。夜分遅くすいません!
イマイですv 今日のブログの件について、もし何か協力できることがあればと思い、わたしのブログの方に少し意見を書かせていただきました。 もしよろしければ、意見の一つとして見てやってくださいませ。 用件のみですが、失礼致します。 10月も半ばになり寒くなってきましたが、お風邪などお引きにならないようご自愛くださいv こんばんは!
きゃー、こんばんは、お久しぶりですイマイさん!
今回の件は全く自分の視点を離れられずにジタバタしてたので、本当に嬉しいです。 貴重な文章有難うございました…!何度も読み返そうと思います!(←必死です) 私は読みながら考えるという事が下手なので、(笑)全然咀嚼し足りていない気がしますが、感じるものが多々ありました。 他の視点を考える事って大事だと思いながら、それって難しいですよね。死ぬ事から生きてる事にひっくり返して考えるっていうのはなるほど!と思わされました。 反対の方向から考えたことなんて一度もなかったので、そういう点からも考えてみなきゃって強く感じました。 嬉しくて慌ててレスしちゃってます(笑)本当に有難うございました! 興味深い問いかけだったので…
及ばずながら失礼いたします。
死ぬことはそれほど怖いと思いません。死後の世界というものを信じられずにいます。生まれ変わりも無いと思います。こういう意見はどうやら比較的少数派のようです。 死ぬことはもっとも自然的で人間らしいことです。精一杯生きた後に死ぬことが出来れば一番幸せかもしれません。死ぬことはそれほど怖いと思いません。怖いのは、死を前にして自分がとる行動です。いま自制していても、死を前にして醜い本心が露になりかねないほどの衝撃を受けることと思われます。自分らしい自分であり続けたいと思っています。世界史の中で死ななかった人はサンジェルマン伯爵兄弟くらいでしょう(笑)偉人も名も無い人も皆死にました。みんなの通る道です。心配することは無いのだろうと思います。 死にたいと思ったことは無いのですが、「死にたい」と口にしたことはあります。そのときの現状からの逃避を図りたかった、単に休みたかったというのが真意です。 死ななければならないと思ったことがあります。「死ね」といわれ、「自分は死ななければならない」と思いました。信頼していた方だったので、余計に強く思ってしまったのだと思いますが、そのときは死ぬことが怖いと思いました。自分の死を望む人のために死ぬことが悲しくて嫌で仕方がありませんでした。一番の宝物を捨てることで死ぬことの代償としてなんとか凌げましたが、自分の一部を失った痛みは今も消えてはございません。 まだやりたいことはありますので、死にたくは無いですが、どうしようもなく死ぬとしたら、神の意思として受け取る以外に、私が享受できる受け取り方は無いんです。信仰は逃げ道のようなものです。(駄目な信仰の仕方) 自分の死よりも、自分の知人が死ぬことのほうが怖いと思います。私は「彼女」を失って、いかにして生きたらいいのでしょう。と。でも自分が死んだとして「彼女なら何とかやっていくだろう」という勝手な信頼を持っています。 お答えになったでしょうか、自信はございません。死ぬことを考える場合おそらく例外なく生きることを考えることと存じます。どうかこれからも素的な旅を。 ありがとうございます!
こんばんは、レ様。レスがいただけて本当に感動しています。ブログやっててよかったなぁと強く感じました。
語彙と表現力が乏しいもので、どうお返事を書いたものかとずっと悩んでいるのですが、(遠)ずしっと言葉に重みを感じる箇所がありました。 私自身考えが纏まっていなくて、内容に関してレスができないのが悔やまれますが… 本当に貴重なお話有難うございました!何度も読み返して、色々自分なりに考えてみようと思います。 いつか理解が追いついた時にまともなお返事が返せるのかもしれません(笑) イマイさんもレ様も、本当に有難うございました。 考えても考えても、自分だけじゃどうしても一点からしか見られないなんて情け無い事が多々あります。 こうやってお話や意見を聞かせていただけるのは本当に貴重な体験だなぁと思います。 またよかったら構ってやってください。くだらない事で悶々としてる事が多いのですが…! 今更ですが…
こんばんは、蘭々さん。絵板でお世話になっております、高槻です。ふとこちらを拝見した時に、この興味深いテーマを目に留めたので、今更ですが私も少し参加させていただきたく…!(本当はメールが良かったのですが、見当たらなかったので、こちらのコメント欄に失礼しますね。)
私にとって死ぬということの何が怖いのか、ということですが。 死そのものは、精神から見れば眠るようなものだと思います。 その後には何も感じない、恐怖すらも感じない。というより感じる感じないという話ではない、無。生まれる前のことは何も知らないのと同じですね。死んだら、残るのは何の意味も持たない骨だけ、政治家でも乞食でも皆同じ。そこに、生きていた間の価値は何一つ無いということ。風船が弾けるように、物事は終わるのだと思います。(レさんのコメント拝見しましたが、こういうのは少数派なのですか。へぇ…意外。) 面倒なのは肉体だと思うのです。 例えば指先を針でつついただけでも痛みは感じる。 息を止めていれば、そのうち苦しさで耐えきれなくなる。 肉体が使い物にならなくなるほど痛めつけられるというのは尋常じゃないと思う、 その線を突破する時の極限の、痛み、苦しみ。それが、死に対する恐怖です。 言うまでもなく私は死んだことがありませんから、あくまでそれは想像に過ぎませんが、想像だからこそ、とでも言いましょうか。その力は現実よりも絶大です。 だから私は、これ以上生きたくないと考えたことが幾度かありましたが、その時の真面目な思いの一方で、躊躇い傷さえ作ったことがありません。例えば、手首の皮膚を薄い刃で切り開く、その金属を舐めるような想像上の痛みで怖じ気づいたり、何処か高い所から飛び降りる、肉体が潰れて破裂する想像上の衝撃で怖じ気づいたり。(実際、どんなもんなんでしょう?) 痛くも苦しくもない死に方というのが、あるとは言えません。自殺なら安らかに死ねる方法を選ぶことも出来るでしょうが、果たして薬や練炭が、本当に痛くも苦しくもないかと言えば、それは一遍死んでみないととても分からないでしょう。 でも、「痛くも苦しくもないとしたら」と仮定するなら、その時点で私は「恐怖」は感じません。残るのは未練とか、そういうものです。 世界には嫌いなものや憎むものも多いけど、もちろん大好きなものはあって、好きなこと、なら自分がその行為を続けるのを止めればそれでお終いですが、他の人が生み出す好きなもの、は、なかなか見切りをつけられない。音楽とか、小説とか、…漫画なんかは、その世界の続きが気になりますしね。笑 あの人ともうちょっと一緒に居たいとか、そんな風に思ったり。 あとは、親兄弟が悲しむだろうな、ということ。 他人から好かれているか、私はいつでも自信がないのですが、そういうのとは別に、親兄弟というのは特別な繋がりですよね。彼らはこの歳まで自分のことを育ててきたのですから、その時間と労力と、自分に対して注いでくれた気持ちを、ふいにするのはとても失礼な、恐ろしい裏切りだなと思います。自分は駄目な、本当にろくでもない人間だ、生きているのが申し訳ないと、私はそういう自責の念でいっぱいなので、板挟みではありますが、それでも。 「あなたは今死にます」とどうせ前もって分かるなら、何かしら準備する猶予が欲しいですね。どうせなら、必要最低限の他何も持っていない、白紙の状態で死を迎えたいな。(死んだ後に手持ちのものを全て見られて、「あの人はこういう人だったのだ」と決めつけられるのが嫌なのです。) 今、 自分が此処に立つなり座るなりして存在していますね。 そこから、区、市町村、県、国、という具合に、ぐんぐん遠ざかると、 砂粒よりも小さい、途方もないものになる。 そんな私が一人、こんなに色々考えて、真剣になったり、疲れたりしても、そんな事とは全く無関係に、今この一秒間に、世界中で何人と無く人が死んで、同時に生まれたわけです。その人達は自分の事を知らないし、自分もその人達のことを知らない。存在って、自分で考えてみると重々しい、複雑で、時々は運命なんか感じちゃったりもするものだけど、外から見れば案外呆気無いものだったりする(のだなぁ、なんてことを時々考えます。ちょっとスケールの大きな話になりましたが。) だから私は、蘭々さんと違って、自分の存在が無くなっていくことを怖いと思わない。 私が己の存在を、卑屈で矮小なものと扱っていることも関係しているのでしょうけど。 生き死には物の常、 誰かが死んでしまうのも、悲しいけれど仕方のないことと考えています。 でも、人が一人生活していた、その跡が消えていくのが、何よりも悲しくて苦しくて、辛いと思います。自分が死ぬのは一瞬ですが、後に残った人は、ふとした瞬間にその気持ちに触れるのですから。 心理テストか何かで、「あなたが死んだら、何人の人が泣いてくれると思いますか」という問いかけを見たことがあります。……大切なのは、人に愛されることというのが私の持論です。誰でも、愛した人のことは忘れないんじゃないかな。 さーて、と。大分余計なことまで書いたかもしれませんし、考えているままに書いてみたので後半とか徳に支離滅裂な拙い文章ですね…すいません…。 わざわざ目を通していただいてありがとうございました。蘭々さんは学生さんとのことで、もしかしたら私と同い年なのかな?と思っているのですが、…考えていることがえらいしっかりしてて、自分の幼稚で浅い思考が恥ずかしいばかりですorz 考えるって、大事ですね。だらだらとお邪魔しました…! こんばんはっ
はわー、こんばんは!高槻様。レス有難うございます…どびっくりしてがくがくしてます。(←)
メールアドレスの件はすみません…!メールしろって、載せてなかったんですね!(死)ちゃんと載せておかなくては… 幼稚だなんてとんでもない。本当に一生懸命読ませてもらいました。感じる事はいろいろありました。 内容に関して直接意見となるレスは書けないのですが、(とにかく皆さんに意見をお聞きしたいというのがこの記事の目的だったので) ただ一番思ったのは、世界の中で自分が消えちゃう事に対して、恐怖を覚える私なんかはもしかしたら少数派なのか?という事です。 結構皆さん、そう感じなかったりするもんなんでしょうか。やっぱり「感じ方」って色々なんで、こうやって皆さんの感じ方を聞かせてもらうまで、「私の感覚」でしかものを考えられなかったので。 凄く意外で、凄く勉強になりました。自分が感じるんだから、他の人も大体同じように感じてるのかも?って思ってた節がなくはないので… もしかして、捉える視点から違ってるんじゃないかとさえ感じました。 イマイさんや、レ様や、高槻様の意見を読ませて頂いて、新しく考えた事が沢山あります。考えようと思った事も沢山あります。 本当に有難うございました!これからもどうぞよろしくお願いします!…何だこの文章!(笑) そ、それはそうと高槻様、同級生ですか?!そんな!!うそだ!(待…) てっきりお年上の方なのかと…あ、あまりにも素敵な絵を描かれるので…し、心底びびってますが、私は高校三年生です。がくぶる。
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