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蘭々
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いろいろ
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B'zをこよなく愛します。
歌ったり絵かいたり文章かいたり自然に浸ったりするのが大好きです。
好きなことがありすぎてやりきれてないバカです。
最近はタイピングをまた真面目にやってみたいなとか思いつつ適当にしかやらないダメ人間です。
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音楽・絵・文章・打鍵。 好きなものはたくさんあるけどほどほどにいろいろやってく蘭々の日記です。同人要素たまに。女性向けだよ。注意。
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ごはん食べられないと情けない気持ちになる
自分で食べないことは不思議と元気になる。体重も落ちるしそれが面白くて変にハイになるんだろう。
でも、食べられないのはよくない。元気を出そうと奮闘して、よし大丈夫もう大丈夫なんて自分に言い聞かせた挙句、咀嚼することさえおっくうで、誰かを心配させないためだけに口に何かを入れてみるけど、本当に呑み込む事がなかなかだるいのは、まるで自分が「大丈夫じゃない」と自分の体に言われているようで、なさけなさも相俟って泣きそうになってしまう。
私はこんな事でダメになるはずがないと思いながら、うまくいかなくて情けなくて、恥ずかしくなってくる。
そんな事はだれでも経験するとか、みんな辛いとか、そんな風に、誰に言われた訳でもなく頭をよぎる。
自分が自分を責めるっていうのは、世間一般に浴びせられる辛い言葉のショックから逃れようと、自分のなかで最悪の批判を一番最初に頭にめぐらせて、自分の中に叩き込むようにしてきたからなんだろうと思う。

結局私は完璧主義で、そんな事したって、辛い言葉をかけられた時に「そんなの解ってるよ!」とイラつくだけなのに
でも、思ってもない辛い言葉をかけられるショックよりも、ただいらだつだけですむんだから、結局私はそんな不毛な行為で自分を保っているんだと思っている。
自分を許せないのは周りじゃなくて自分だ、そのせいでいろいろ、しんどくなってるってわかってる。周りは私にとても甘いんだろう。私が私に向ける批判ほど、周りは冷たい事を言わないんだろう。きっと私が私に抱いている不満や批判以上のものを浴びせられたら私はとても傷付く。でも、周りはそこまでのことを私には求めていない。こんなにやさしくいてくれるのに、私は結局私にもういいよと言ってやることができない

冷たい言葉に傷つくのが怖いんだ、それが災いして、私は自分でまた自分の首を絞めている
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 折原臨也
2011/04/22(金) 14:51

例えば四角形のピザパイを四人で分けるとか、流れ星の問題に何人かで取り組んでみるとか、カウンセリングを考えるにおいて導入的なゲームをやったことがある人は割と多くいるんじゃないだろうか。そして人間の心理が何たるかを知ろうと、計算だらけと言われる心理学の世界に片足を突っ込んでみたり、まあ、人間を愛する俺は勿論学生の頃にカウンセリング云々なんかについては教授と呼ばれる人間から金と引き換えに知識を貪っていたよね。ああ、別にそれを深めるつもりなんて無論なかったさ。だってナンセンスだとは思わないかい?学びを深めるごとに愛する人間たちからどんどんと乖離してゆく。精々数百円で刷り続けられる紙の束の中に人間たちを押し込んで語るだなんてこの上なく愚かな事だ。情報は価値を持つ、大きなね。でも情報が人間たり得ることがあり得ないだなんて、子供にだって解るよね。

俺が価値観を語ると人間っていうのは、俺を尊敬したり距離を置いたり、はたまた顔を真っ赤にして怒ったりと多種多様で面白い。皆一様に愛しい人間の反応ではあるんだけど、怒り出した人間の相手をするのが一番楽しいね。怒りから論理性を欠いた言葉を俺に投げつける相手の言葉の揚げ足を取って何もかもを混ぜっ返して更に真っ赤に膨れ上がる人間の顔が実に面白い。あ、でも別に悪意があるわけじゃないさ。これだって俺なりに人間を愛してると思っては貰えないかな。

さて、今日は何でそんな話をしようと思ったのか思い出せないけど。そうそう、やっぱり人間っていうのにマニュアル本なんてものはないと思うんだよね。いわれるまでもないとは思うんだけどさ、まあ平和島静雄みたいな奴もいるわけ、人間って。ああ、一応彼が動物界後生動物亜界脊索動物門羊膜亜門哺乳綱真獣亜綱正獣下綱霊長目真猿亜目狭鼻猿下目ヒト上科ヒト科ヒト下科ホモ属サピエンス種サピエンス亜種に属する種の生き物だと仮定して話すけど。まああんな奴もいる訳で、紙の中に人間を押し込むのはやっぱりナンセンスだし、あまり意味を持つこともないと思うんだよね。加えて人間が一生の内で接する人間なんて、個人によって全く変わってくると思うんだ。それなら俺は自分の足と頭を使って、愛すべき人間一人ひとりと対峙する事で、「俺の知りうる限りの人間」像を作り上げることのほうに意義を感じるね。人間を語る書物は確率でできているだろう?なら、「俺のまわりの人間」の確率なんて俺しか知り得ない訳なんだからさ。

何が言いたいかって、そりゃあ中身なんてないさ。いつものとおりね。


 折原臨也
2011/04/22(金) 11:36

兎の餌のような朝食を喉へと押し込む。別段気分が悪いと云う訳ではなくて、お世辞にも美味しいとは言えない朝食。安眠用のハーブ剤のような匂いのする食物繊維たっぷりの硬いシリアルにらしくもない蜂蜜とミルクを掛けて咀嚼を拒む口の中へと押し込む。あまり味もしないけれど自分で作る気も起きないから大抵毎日此れだ。理由は簡単、俺は寝起きが悪い。加えて朝食ってあんまり食べる気になれないタイプなんだよね。
朝から動かない体を叱咤して朝食を作る理由もないし、昼食と夕飯は波江が用意してくれるんだから朝くらいシリアルで済ませたって大丈夫さ。ボソボソと硬いそれを食べるのにさえ飽きたら流しに皿を引っ繰り返す。ふやけかけた焦げ茶色の物体が白い液体の中に浮かぶ、さようなら。夕飯まで保たせないといけないからコーンスープなんて作ってみたけど(とは言ってもお湯を注いだだけだ)やっぱり半分も飲まない内に飽きて流しに引っ繰り返してしまった。また波江に文句を言われるな。片付けるつもりもないけどね。


さてそろそろ出掛けよう。身支度も整えた、今日は粟楠の四木の旦那に報告がある。あの人も何を考えるんだか、おお、怖いねぇヤクザって奴はさ。
平和島静雄に逢わないように祈りながらポケットにナイフを押し込む、

>ああ、邪魔ではあるけど、面白くもあるよね


折原臨也
2011/04/22(金) 01:52


>ああ、愛しい世界!

世界はこれほどまでに広かったと、きっと俺は明日空を見上げて思うだろう。それは俺だけではない、きっとこの世界に居る誰かも一緒だ。明日が曇天だの雨天だのと予報されていようとも、この俺がこの世界に立っている事に違いは無い。そう、雨天だからこそその空を見上げる機会すら俺達は失いがちだが、空の広さは間違いなく今日も明日も明後日も、はたまた空の向こうに焦がれた少年時代からも、変わりはしない。何が言いたいかって意識の問題だって事さ。そう、自らその視野を狭める事と、自ずとその視野が狭くなる、この二つの字面は殆ど同じように思えるかもしれないが全くの別物だ。どの位別モノかって、月とスッポンだなんて言わないけど、まあ何だ、説明するまでもないよね。そこまで言ってたらまたウザイとか平和島静雄あたりにキレられそうだから黙っておくよ。
そんな理由で黙るなんてらしくないだって?アッハ、正解!君、よく俺の事解ってるね!俺の事好きなの?ゴメーン、でも俺のタイプじゃないね。残念。

ま、崇高かつ中身の無い言葉の羅列を止めるに足りる理由は純粋に眠気だ。って訳でオツカレ。オヤスミー!


 折原臨也 記


人間って希薄なものでさ。誰かの感情に相対的に「自分の価値」なんてものを見るべきじゃないと思うんだよ。

例えば愛の大きさだとか、誰かにとってなくてはならない存在であることとか、そんな考えに一度は人間囚われるものだと思うけれど、それがすべてではないんだと思うんだよ。

俺にとっての一番って何かと言われれば、シズちゃんだと言い切ることはできない。根本的に考えれば、俺にとっての一番は俺だからだ。
そして、シズちゃんが居ないと生きていけないかと云えば、そうでもない。彼が俺の目の前から去ろうとこの世から消えようと、無常な事に時は流れるし、俺は何の変わりもなく酸素を吸って二酸化炭素を吐き出しているだろう。
愛の大きさを天秤にかけて駆け引きする事も、愉しい。けれど、それに囚われすぎちゃいけない。自分が誰かよりも愛されているとか、誰かよりは愛されてないから何番目だとか、そんなことに拘りすぎるのはよくない。なぜなら、この世にあるものは全て整頓されて数字をつけられる、そんな親切で単純なものじゃないからだ。

君の価値は絶対だ。俺の価値も、絶対だ。誰かの思いを汲んで、誰かと比べて相対的に、自分に順番や値段をつける事は、結構馬鹿馬鹿しい事だよ。
良い意味でなら、構わないかもしれないけどね。お前は俺にとってなくてはならないと大切な存在に言われて、嬉しくない奴なんていないだろう。お前は俺にとって一番だと大切な存在に言われて、嬉しくない奴なんていないだろう。
だけど結局はその程度だ。言って貰えて嬉しい、そう感じられて嬉しい。嬉しい、その程度なんだよ。ただ嬉しいだけ、そう、そんな言葉はウソだらけだ。その言葉が真実であるか問い質したり、あらゆる状況を考慮して本当に一番であるのかを検証したりするのはナンセンスだ。絶対的な意味で、「一番」であることなんて、ありえないんだよ。この世で、たった二人しか居ない場合を除いてね。

「一番」だなんて言葉が適用されるのはね、極限られた状況に於いてだ。そう、「例外」なんだ。「原則的」に一番はありえない。自分が一番の価値を持つだなんていう事は、限りなくゼロに近い、「例外的」事象に違いない。

見失わないで欲しい。それに囚われると、自分の魅力が解らなくなる。実際にその魅力が霞んで見える。誰かの一番になることに、拘らなくていい。「誰かの一番になりたい」だなんて、勿論誰もが求めることかもしれない。
けれど一番になるために何かを手にしようとしてはいけない。その時の選択は、多くは間違っているのだから。
自分の脚で立たなきゃいけない。自分で自分を愛してあげなきゃいけない。自分にとっての一番に自分を置いてから、周りを見渡してごらんよ。
自分を愛せなきゃ他人を愛せないだなんていうけど、間違いではないと、そう思うよ。

そんなに絶望しなくてもいい。誰かにとっての一番になりたくて愛を求めて何かに縋っても、都合良く愛が落ちてる事なんて殆ど無いよ。
かりそめの愛情に振り回されないでくれ。無条件の愛情なんて、そう簡単に得られるものじゃない。そんなものを当たり前に持っているのは、自分を産み落とした存在くらいだよ。

でもそんな愛情は、造っていけるものなんだよ。



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