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B'zをこよなく愛します。
歌ったり絵かいたり文章かいたり自然に浸ったりするのが大好きです。
好きなことがありすぎてやりきれてないバカです。
最近はタイピングをまた真面目にやってみたいなとか思いつつ適当にしかやらないダメ人間です。
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音楽・絵・文章・打鍵。 好きなものはたくさんあるけどほどほどにいろいろやってく蘭々の日記です。同人要素たまに。女性向けだよ。注意。
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元気ですよ…元気です…元気っていう時大概元気ないでしょうと言われてしまうと何と答えたらいいかわかりません。そうだねっていえばいいのか違うよっていえばいいのか。
元気ですよって自己暗示にならない?自分は絶対元気だよ!みたいな。
でも鬱々とした文章を書いた後とりあえず私はそこまで欝じゃないし普通に生活してるし
死のうとも思ってません普通に「元気です」って一応示しておく必要があるような気がしなくもないような気がするんですがどうですかどうでもいいですねはい。

たいてい手首切った後で写真撮ってる時は元気な時が多くて、写真見るとあんまり血が出てなかったりして不満だったりもするんですが私うん切っちゃダメだよ…だめだよ…(暗示)
もう18歳になるんだから切っちゃいけません…意味わからん基準ですが私がもし大学生になるなら手首切ってる場合なんかじゃない…っていうか切っちゃいかんよ私が許せん

病院も薬貰ってるだけでずっと行ってないし、手首を切るのは治ってますなんて言ってるし親だってそうおもっているし
さっさとやめなくてはならないというか、やめないと私は私のやりたいことができない…いややらせてもらえない…
そりゃあ手首切ろうと薬飲もうと私一人の力でやりたいことがやれるのならば別に手首切るのやめようとも思いませんが(そこがダメなんだろうと思うけどそもそも手首を切っちゃいけないと自分で思えてないんだろう)
親の力というか主に経済力を借りてやりたいことがあるわけなんですから
そんな手首切ってる奴にはお金出せませんし勉強もさせてやれませんと言われてしまうなら仕方無い…。

けど本当に周りの人間が何も感じないのなら私は手首を切るのをやめたいなんて今は思わないのにな。
思わないのがいけないのかどうかわからない。けど周りを考えたらそれはいけないことだと思うな。
他人に対しても自分に対してもものすごく無責任だ。


手首を切る事が私にとって何を意味しているのか今もよくわからない。
私はアダルトチルドレンであるから本人の気付かないところで親の感心を引きたがってやっている場合があると先生に一度言われた。
けど私は親にこそ知られたくないというか、何があっても親の目からは逃れないといけないと思ってるんだけどな。
そりゃあ手首切ってるといろんなものが制限されちゃうっていうのもあるけどまず親が悲しむでしょ、母親は泣くし父親は怒るし家の中はさらにぐちゃぐちゃ、
罪悪感とみんなの空気に押し潰されそうで家に帰れなくなっちゃうようなあんな気持ちもう味わいたくないものだし。

あのときの疑心暗鬼は今以上にひどかったなぁと思う。手首を切っていることが学校から家へ漏れていないかと毎日毎日神経を尖らせて、
先生は絶対言ったりしないと堅く約束してくれたのに私は裏切られたと思い込んで先生を憎み怒り続けていた。
当時書いてた日記はもうなくなってしまったけれど裏切られた事や誰も信用できないことだとか家の空気が耐え切れないとかそんな事を沢山書いていたような気がする。
何冊もノートは真っ赤な文字で埋まっていたし血で文字を書いたノートが見つかってしまった時はちょっと悲惨だった。

本当に私は誰かが私が手首を切っていると家の人や他の人間たちに言いふらしてると思っていた。それは家に帰った途端母の表情と家族の空気を感じた瞬間なぜかそう確信して、
誰も私に何も聞かないのに家族の一挙一動で私は勝手に誤解を深めていった。何てL5^q^
私を泣きながら抱きしめて謝った先生を私は物凄く憎んでいたし、その事に対して怒っていたし、どうしようもなく悲しくて理不尽なきもちでいっぱいだった。
ある日私はどん底で、クラスの女の子が先生は絶対に言ったりしないと約束していたから、いったはずはないと思うし、誰もその約束を破らないと思うとはなしてくれたのに、
私の悪いところであるのだろうけど、そんな言葉は聞こえただけでハナから信用するどころか、真実のパターンの一つとしてストックされることすらなかった。
可能性が0に近いとかそれ以前に、「可能性」であることすら私の頭にはなかった。そしてそれは私にとってとても自然なことだった。

今も何かを悪い方向に思い込んだりすることはあるし昨日だってそうだった。私が帰宅したとき母が私の部屋に居るのは珍しいことではないけれどただいまと言ってから母の反応は鈍かった。
何だか辺に間があって私は自分の部屋にある薬や注射器が見つかったのだろうか、はたまた血のついた包帯やガーゼや薬を粉にした跡が残っていたのかとひやひやしてしまった。
普通に母は眠そうだったし寝起きであったと思えばいいのに私は毎日そんなのばかりだ。母に昔から詮索癖があるからかもしれない。
でも私はその瞬間は母は何かを見つけたんだ私はどうなってしまうんだろうとか、
手首を切っていることはまたばれてしまったかとか母はうすうす勘付いてるんじゃないかとかそんなことばかり考えていた。

昔も家族は私が手首を切っていることなんてとっくに知っていると思い込んでいたから、手首を切ったと完全にばれたとき、父が私を裏切り者として殴ったことや母が大泣きした事が不思議で不思議でたまらなかった。
なぜ今更そんなことで泣くのか、怒るのか、そんなことはとうの昔にしっていたくせに、だから私は毎日あんなにつらい思いをしていたのに、なんて思って不思議でたまらなかったけど、
今思えば母や父はあの瞬間まで私が手首をまた切っているなんて、思ってなかったんだろう。

今整理すると沢山違う事実が見えてくるわけなんだけどあの頃の私の考えがわからない。
自分のHPスペースにCGIを置いて日記にしてたんだけど、HPスペースがなくなるのといっしょに消えてしまった。
どこにいったんだろうなぁ、気に入っていた。写真とかも置けて、(携帯をもってなかったからデジカメでとったものばかりだったけど)白と水色で統一していた。
フレーム式でひだりっかわに日付や記事名があって、ブログみたいなものだった。
あの頃はまだブログなんてものは今みたいに流行ってなくて、日記は適当なCGIでって思ってた。

どこにいっちゃったのかなぁ。もうないんだろうな。寂しいなー、どっかないかな、探してみようかな。
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