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プロフィール
HN:
蘭々
性別:
女性
職業:
学生
趣味:
いろいろ
自己紹介:
B'zをこよなく愛します。
歌ったり絵かいたり文章かいたり自然に浸ったりするのが大好きです。
好きなことがありすぎてやりきれてないバカです。
最近はタイピングをまた真面目にやってみたいなとか思いつつ適当にしかやらないダメ人間です。
歌ったり絵かいたり文章かいたり自然に浸ったりするのが大好きです。
好きなことがありすぎてやりきれてないバカです。
最近はタイピングをまた真面目にやってみたいなとか思いつつ適当にしかやらないダメ人間です。
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音楽・絵・文章・打鍵。
好きなものはたくさんあるけどほどほどにいろいろやってく蘭々の日記です。同人要素たまに。女性向けだよ。注意。
何かを創ろうとする事を、私が望んで、行動することは、嬉しい。
長続きしないと知っていても、すぐに嫌になるって知っていても、素敵なことだ。 私は中途半端な人間だ。 完璧にできないことは、やりたくなくなる。 だから色んなことを、自分の拙さを痛感して、やりたくなくなってしまう。 もどかしいよりも、恥ずかしい。 できない事が恥ずかしい。 「私はここまでできるからそれでいい」「これから成長するの」と、思えたらいいのにな。 私は常に実力以上であろうとする。 背伸びをしてコケる。 背伸びをしてさえ届かなくもある。 私は完璧でいたがる。 完璧とまではいかなくとも、「恥ずかしく思わない」程度でいたいと思う。 その程度にさえいられないものは、急に恥ずかしくて、できなくなる。 その段階を誰もが経て、極めていくのだと頭で理解していても。 出来ることを完璧にやって、出来ない事をやろうとしない それが徹底されていれば、周りが「あの子は何でもできるよね」っていう子になるんだろうと昔思った。 ただ私はなぜか「人に意図的に見せる」ときは「できない」事が良い事でありうるとなぜか思っていた。 漫画のヒロインのように、明るくて気さくで、ドジで不器用で、実直で誠実な人間が、「好かれる」というイメージがあったんだと思う。 それは本当にちいさいころから。私はそんな子になりたかった。 自分が出来ない事は、他人にどんな風に詰られても文句が言えない事だと、思う? 可愛い子が他の子を不細工で生きている意味がないだとか 上手にできる子が下手な子を馬鹿にしてそれをやる資格がないだとか 優越している人間がそう言う事は、ある。 思ってはいけない言ってはいけない、そう自分を戒めるのは正しい。 ただ、それを言われた人が 「それはいけない」 なんて反論するのは、負け惜しみじゃない? 負け犬の遠吠えじゃない? 確かにかなわないんだから。 そう思う人はいなくなりにくそうだし、そう(自分を擁護する為に)意見するのは自分がその境地に届いてからだ。 ただ優越、卓越している事は、周りもそれをよく思うでしょう。 それに利益がある限り、負けている自分がそんなの間違ってると吠えた所で、嘲笑さえ招いてしまいそうだ。 ただ一番理想的なのは、卓越、優越しているものがそれを振りかざさない事。 相手をそれによって蔑まないこと。 そして劣っているものが、卓越優越しているものの凄さを認め、自分の位置を知り、僻まない事。負け惜しみをしないこと。 上下があるわけだから、優越しているものからそうしてくれるかと言ったら、なかなか全部はそうならないんじゃないの。 優れているものも劣っているものも、お互い弁えていないというおはなし。 だけど劣っていると立場を弁えようとした所で、向上心が無くなってしまう、私のようになってしまうのならこの話はムチャクチャ。 そしてムチャクチャだといっていいのは、私と私より優れている人。 これがムチャクチャであろうとなかろうと、ムチャクチャだと言っていいのは、劣っていても優れてみせると突っ走る若い気持ち。 そして全ての人となる。 PR この記事にコメントする
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