前にも言ったけれど、世界の中で拡張されてゆく自分についていけないことがある。
それは成長期に、自分の身長が急に伸びて、
いきなり一輪車に乗れなくなったりとか、いきなりスケートが滑れなくなったりとかした、
そんなときの感覚に似ているんじゃないかと思う。
ただ私の拡張と、身長がのびたときの違いは、私の意識によって大きく左右されるということだ。
拡張は、されていても、そのまま馴染んでゆるやかに、感じずに過ごすこともできる。
だから私は私の拡張を知らずに、大幅に拡張されていたことに気付けずに、過ごしていた。
そしてある日突然その拡張に気付いて、自分の今までの意識とのギャップに呆然としていたんだ。
身長がのびたときなんかは、意識しようとしまいと、顕著にいろんなところに障害があらわれてくる。
障害を感じられない、自分の拡張ってものは、すごく厄介なんだと思う。
自分を貶める気持ちが強いとよけいに、拡張にはついてけないんだと思う。
頭が痛くなってきた、
世界の中で自分が拡張されてゆくなら、その最大限は世界であるってことになる。
ただ私の中に世界をとりこむほどの余裕は、ない。人間には不可能なんじゃないかなって思う。わからないけど。
でも世界というものに限りはあるのか?限りがあるものの外には必ず、何かがある。
私の家の周りに町があって市があって県があって日本があって、色んな国があって地球がある、
地球の外には太陽系があっていろんな銀河があって宇宙があって、宇宙は限りがあるけれど、膨張しているという。
膨張するということは、膨張する余裕があるということ、限りのある宇宙のそとに、宇宙より大きな何があるの?
宇宙の外を知りたいと思うじゃない、未知の世界だけれど、きっと宇宙の外には何かがある。
ではわたしと世界は?
世界がわたしの限りであるなら世界の外には何があるの?
そもそも世界に限りはあるの?
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