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プロフィール
HN:
蘭々
性別:
女性
職業:
学生
趣味:
いろいろ
自己紹介:
B'zをこよなく愛します。
歌ったり絵かいたり文章かいたり自然に浸ったりするのが大好きです。
好きなことがありすぎてやりきれてないバカです。
最近はタイピングをまた真面目にやってみたいなとか思いつつ適当にしかやらないダメ人間です。
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音楽・絵・文章・打鍵。
好きなものはたくさんあるけどほどほどにいろいろやってく蘭々の日記です。同人要素たまに。女性向けだよ。注意。
壁というものは沢山あるけれど、今考えて簡潔に書きたい種類の壁は、まず自分の壁、家族の壁、友達の壁の三つだ。
この壁の定義はとても曖昧だ。小さい順に並べたつもりだけど、何が小さい順なのかわからない。 一見問題なさそうに見えるかもしれないけど、よく考えてみればこれは必ずしも「大切な順」ではない。 家族が自分より大切かもしれないし、友達が自分より大切かもしれない。 ただ世間一般に、誰かに「踏み込む」時、踏み込める範囲を「自分の(踏み込める)領域」とするなら、その自分の領域というものは、おもにこの三つの割りから成り立っているような気がする。 踏み込めるというのもあいまいだし、踏み込むことが一般的に許されている領域、というほうが正しいかもしれない。 友達なんて、教師なんて。そんな言葉ってある。私だってそう思う。友達に何ができるのか。教師に何ができるのか。所詮他人であるという言葉に、反論出来ないのがこの世間なんじゃないかと思う。 友達なんて何もできない。教師なんて何もできない。そんな言葉を強く支えるのは、家族の壁だと思う。 結局教師も友達も、「家庭の事情ですから」と言われるのが怖くて、一番大事なところに踏み込んでこられない。 その、踏み込まない事が理性的であるかのように受け止め、己の立場を弁えて行動しているつもりらしい。 不思議なことに「家庭の事情ですから」に反論できる人は極端に少ない。たとえ家族というものが、家族といえるかどうかさえ危ういような関係であってさえ、「家庭の事情ですから」なんて言葉に教師や友人は怯んで触ることさえ止めてしまったりする。 そりゃあ、養えって言われたら、困るんだろうけど。それをしようとしない家族に対してだって、何も言うことが出来なかったりするだろう。 立場を弁えて家庭に踏み込まないのでは、ないと思う。確かに踏み込むべきところじゃないかもしれない。 だけどその中で本当に友達や教え子が、言葉にできずとも、助けを求めていたとして、家庭の事情ですからなんて言葉のせいでその姿から目をそむけるような事になっていいのかと私は思う。 その言葉で差し伸べた手を止めて、何も掴まずに引き戻してしまうのは、理性的で正しい行動なんかじゃない。臆病で、出すぎたものだと思われることが怖くて、理性的ではないと思われ誰かに厭われるのがいやで、友人や教え子を救えない、弱い人間だ。 そしてそのまま手を差し伸べられないでいるのなら、それは「所詮友達」「所詮教師」であっていいんだと思う。 そこで手を差し伸べることは、とても重い。ふつうは、出来ないことなのかもしれない。 だからそれはもう、「所詮友達」「所詮教師」で、いいんだと思う。だって私もきっと、今の段階では「所詮友達」だからだ。 誰に何を懸けることも、今の私にはきっとできない。 それは私が成長したのかもしれないし、臆病になったのかもしれない。乾いたのかもしれない。 でも私は今、所詮友達なんだ。 ----------------- ああ、これは私だけかもしれない、けれど、 自分を好きになることはとても怖いよ。 自分が嫌いなことの理由のひとつは、本当に誰かに愛されたくて、本当に誰かに好かれたくて、しかたないからだと思うんだよ。 たったひとつの悪いところでも、こんなことでは私は愛されることはできない、こんなことでは好いてもらうことはできない、 そんな恐怖心が自分をどんどん貶めて、どうにかしたくてでもならなくて、私は私を嫌いにいなっていくんだと思うんだよ。 でもねそれが不思議なことに、誰にだっていやなところがあって、なのにたくさんの人たちは誰かに深く愛されていて、 不思議なことだよね。 それを知っているのに、ただ一つでも自分にいやなところがあれば、不安で不安で仕方なくなっちゃうものなんだと思うんだよ。 書いてて涙が出てきたんだけど、(化粧が落ちる…。) 自分が自分を好いていて、誰かに嫌われたとき、私の世界で何かが終ってしまいそうな気がする。 それは今の私の状態だったら、だけど、ああいや、言葉にならないな。 そうだな、私の嫌いなところは万人に嫌われるかもしれないけれど、私の好きなところは、何人かが気づいて好いてくれる、はずだ、いや、きっとそうだと思いたい。 私丸ごとを好きな人はいないかもしれない。ただ、あなた丸ごとを嫌いな人間も、きっとそんなにいない。 私の一部分を好きな人や、あなたの一部分を好きな人は、きっとたくさん居るんだと思う。 私もその一人なんだと思う。 かけらしか知らない私の言葉は届くどころか、紙の上で霞んで消えてしまいそうだろうけど、 PR この記事にコメントする
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