あたまがいたい
忙しいのは嫌いじゃない 充実してるなんて思えるから ってそんなの思い込みで幻で
何がやりたいとか 何が有利だとか不利だとか そんなんばっかでやりたいことがよく見えない。
がむしゃらにいろんなことをやってみて、結局得るものがないのは仕方がないといえば仕方がないのだけれど
可能性の低いものに向かって走っていくことができないのなら広がったりすることなんてない
時間が少しでもあいていたり暇だったりするとどうしても私は
私がサボッているのだと感じてしまって
何でも沢山ひろって忙しそうにくるくると動いていれば誰かさんは満足げに私を見るからそれでいいと思っていたけどそれってやっぱり何か違うんだろうなあ
やってるのは楽しい。
一つに絞るのが難しい。
でもいろんなことやるとひとつさえできなくなるのはなんでだろう。
うーん、何もしないほうがいいのかな。
でも何もしないでこの1年無駄にすると思ったら、申し訳ないな。
学校はじまってから絵を描いていない。
けっこう大問題じゃない。
勉強するのは好きで、いろんなものを学んでいくのはとても面白くて、だけど、学ぶのは自己満足で
勉強してたいなんていつまでも言ってることはできないんだけど。
教える事はとても面白いし、教えるってことにやりがいを感じるし、だれかがよく言っていたように教師ってのは性に合ってるんだろうなぁとは思う。
性に合ってても器じゃない気がするんだけど。
先生がいうような言葉は私には眩しすぎるし、実際大学で出会った人たちも、あんまりに眩しくて見ていられないことに最近、気付いた。
私の歪んでる所は、そのまっすぐさに救われる一瞬があるとしても、
あんまりにも眩しくて見てられなくて、憧れるどころか、なんだかウソくさく感じてしまう事が最近あるというか。
なんか、そういうところを取り上げれば、私は教職になんて就いちゃいけねぇんじゃと思う。
きれいな事は嫌いじゃないし、憧れるけど、きれいな事を貫き通す事はたぶんできない。
それを地でやっちゃう人が居るんだけど。なんだかそれは、遠いっていうか、
私にとって全然リアルじゃないし、とても、遠い世界の話みたいで聞いてられない。
ひねくれてるなぁと思うけど。
学校っていう疑似社会の中では、そうやって教えていくにしても、やっぱり学校を出たらそんなもんじゃないんだし。
結局学校なんていう、綺麗さを中心に成り立ってる社会なんて外に出ればすぐ潰れてしまうんだから、
それを地でやってのけることは私にはできないし
憧れはしたけれど、やっぱり、現実味がないから、説得することも、できない。
理想を貫く事が大事なのかもしれない、けど。
あんまりにも、理想ばかりだと、それが正しいことだとしても、頷くことができない。
学校ではオーケーだったとしても、正しいんだから、なんてのはどこでも通用するわけじゃない。
お金だってそうだし命だってそうだし感情だってそうなんだ、
結局、できないことにぶち当たってしまうのだから、って考えると、やっぱり私ってあきらめっぱやいのかなー。
ナルトならぶっ壊してくれそうだけど。
きれいなことや正しいことに則って全てが動かないことに
不満を感じたり不平を言ったり、批判したりするのは馬鹿馬鹿しいと思うんだ。
そんなことおかしい!って、言われても、
ほとんどの人間がそのおかしさのなかで生きてかなきゃいけないわけだから
おかしいのがほとんどなら、正しくてきれいなことばかりなほうが異常だ。
こんなことを考えると、向いてないなあとは思う。私はあんまり綺麗なことを言ってあげられない。
あこがれて、そう変わろうと努力しようとしても、やっぱり、
そー考えちゃうからだろうなー。
もうちょっと潔癖な人間のほうが向いてる、教師って、きっと。
けど、私はそういう、現実味のない話をする教師も、好きじゃなかった。
やっぱりそういう人間なのかなあ私って。
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