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音楽・絵・文章・打鍵。 好きなものはたくさんあるけどほどほどにいろいろやってく蘭々の日記です。同人要素たまに。女性向けだよ。注意。
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思ったっていうか、なんていうか、
今日決めたっていうか。

私、勉強しようと思います。

大学の授業もあるし、私は教育学部に居るってことで、その勉強もしっかりやらなきゃいけないんだけど。
いろんなものを追っかけるのは、とても難しいことだと思うけど。
中学校・高等学校の美術、国語教員の免許と、小学校教員の免許を取るっていうのは曲げないでいたいものだし。
国語教員の免許は、どうしても時間の制限で取れない場合は、諦めるしかない…けど。
けど ←コレ多い(笑)

難しいものを既に2コも追いかけているうえに、さらにまた難しいものを追っかけようとしてるわけで、
大学、…教育学とも直接関係はないし、3つの別のコトを勉強するっていうのは正直バカみたいかもしれないけど。
私は私のとっても我儘な気持ちの為に勉強してみたいと思う。
すっごく不純で、すっごく馬鹿らしいような理由で。
目標なんていう高尚なものじゃなくて



あー、でも、勉強時間なんて取れるのかなぁ。
でも、やるしかないよなあ。
あ、レポート全然書いてないよ………
これはやばい。
国語の教員免許がどんどん遠くなっていく……うう。
あー、うー、負けない。がんばろう。



なんか、昨日自分のなかでいろんなものが変わって、
変わったんだけど、元に戻って。
でも大学生活を続けてて私は、いまのままでいられるかなあ。

----

書こうと思って書いてなかったこと。


大学に入って、いろんな心の動きを経験した。
私は今年度前期、『学校教育学部、小・中学校教育専修、図画工作美術科教育コース』に所属する学生として生活した。
レベルの差だとか、経験の差だとか、美術に対する意識の差、そんなもので劣等感を感じながら必死にどうにかみんなについていこうとしてた。
精神的に不安定にもなった。
そんな中で私は物事を教師的に考えようと試みていたと思う。
道徳、倫理、そんなものから始まって、教師とはどうあるべきか、学校とはどういう「社会」か、そんなことも頭に巡らせていた。
教師と自分を重ねる中で、教師の行うべき善、教師の沿うべき道徳、倫理に行き着き、実際行動に移してみた所で生じた摩擦に戸惑ったりもした。
善、道徳、倫理、教師がそう信じていたものが、実際社会においては「偽善」だなんて称されたりすること。
客観的で公平、冷静な判断を、偽善的であるとか、他人事であるからだとか、そんな風に捉えられたりすることがあること。

―――私の、「正しくあるべき」と認識されていた人物は、親と教師。
その、教師の信じるべきで、貫くべきであるものを、ある場所で貫かんとすることは、時に大きな裏切りのように見える…否、偽善のように見えるってこと。
そんなこと、解っていたような気がするのに、経験するとやっぱり衝撃だった。
教師の限界と、偽善を一番知ってたはずなのに。
ならなぜ偽善者が教師なのか?生きないものをなぜ大事だと教えるのだろうか?
なぜ教師はわざわざ「演じ」て、なぜ生徒はわざわざ「演じ」るのだろうか。

なんて、どうでもいいような悩みを続けることもあって。馬鹿らしいと思えば思えることで、偽善なんて言葉で表現するのはなんとなく落ち着かないし。


…何が言いたいんだっけ。


いろんなことで落ち込んでる時に、同じ科の友達に何度も救われた。
私を含め6人っていうものすごい少ない人数だけど、みんな、とてもきれいだ。
偽善だなんて慣れない単語の薄さと重さに苛まれていた私の頭を撫でてくれたその子はとっても、真っ直ぐで。
大丈夫?って私の顔をのぞいた大きな瞳は、どこまでも純粋で。
きっと偽善なんてこの子たちにとってはどうでもいい。ただ自分の正義と目標に向かって只管走り抜けていて、それはとても純粋で。
自分の正義を信じていて。
あんまりにもきれいで、あんまりにも眩しくて、私は泣いてしまった。
その日の事は11月29日の記事(クリックで飛びます)に書いてあったみたいだけど。

そんな風に、私を、いままでにはなかったような、透明さで、美しさで、純粋さで、浄化していってくれるような。
そんな存在が身近に出来て、心の動きをたくさん経験した。
心を許しているわけではないけれど、
教師としてあろうとする「ともだち」に囲まれた生活は、今まで経験したことがないほど、きれいなものに溢れていた。
ものごとを斜めにばっかりとらえる自分が、なんでこんな風なとらえかたをしてたんだろうって思うくらいだった。
そこは温室だったのかもしれない。
私のいまいる空間は、温室かもしれない。
だって私は、この子たちを「信じられる」かもしれないなんて、思い始めてる。
私に信じられる人なんていなかったのに。



けど、それがいいことなのか、悪いことなのかわからない。
経験として、「あっていいこと」ではあると思う。
ただ、その中で生じる、違和感っていうのもあったんだ。
私はこのまま、みんなと同じように変わっていけたのかもしれない。そりゃぁ私の底は真っ黒だからだめかも、なんて思ったりもしたけれど。
でも、何だか私じゃないような違和感。これは長い時間をかけて、みつけていけばいいんだとも思う。
きれいなものに染まっていくのかもしれないとも思った。
けど、やっぱり違うような気がする。
何がいいたいのかわかんない。(笑)ここに書いてないことが多すぎて、一気にまとめられなくなっちゃってる。






私は”元に戻った”気がする。でも、今回の話にそれはたぶん、直接関係はしてない。
でも、きれいなもの、まばゆいものを見ている間に、私を失ってたのも本当だ。
稲葉さんが言ってたような気がするけど、
「まるで天国かどこかに導くように話しかけていた」
私は彼女たちのようになりたいのか?――私は彼女じゃない。

私の見たものは天国に見えたのかもしれない。うつくしくて、きれいで、純粋で、透明で、幸せな世界。
そこにいきつくことは、「幸せ」?
「闇から脱出するということ」?
「苦しみから解放されるということ」?
なんだか、違うような気がしてきたんだ。



まあ、なんだかどうでもよくなってきたのは、
もうお風呂のお湯が冷えてるだろうな…って時間だから。
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素直にいる。



私は私の感情や
私という人間や
誰かという人間、感情に対して、
素直にいる。

武器ももたずに、両手広げて仁王立ちして、
さあかかってこいといってやる。
そりゃあもう、傷だらけになるだろうけど、
うそでいきてたわたしが、
彼女のようになりたいのだから、

泣きながらでも立っていたい。
まけるもんかって、傷だらけになっても、
きっと彼女は強いひとなんかじゃない。
 



私は何がかきたいんだろう
私は何を感じているんだろう

わからない
わからない
ねむい

私の世界はどこへいった

わからない
わからない
からっぽ

――――ねむい



つくりたい。
私はどこにいる



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