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音楽・絵・文章・打鍵。 好きなものはたくさんあるけどほどほどにいろいろやってく蘭々の日記です。同人要素たまに。女性向けだよ。注意。
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 私は頻繁に殺される。私の母も頻繁に死に、祖母もよく、死のうとする。弟が殺されそうになって、私が庇って、殺される。知らないものに追いかけられ、体を蟲が這いずり回り、最後に殺される。そして稀に私は誰かを殺し、殺される時と同等もしくはそれ以上かと思えるほどの苦しみを味わうことになる。
 その苦しみは目を開いた後に終わる。目を見開いて、確かにそこが自分の部屋で、私は夢を見ていたのだと確認する。けれど暫らく頭に残った苦しみは消えない。夢だという事を確認し、幾度も頭で繰り返し、もしもその夢が現実になったら、いや、夢であったという事自体が夢であったら――そんな事を考えて、頭の中に同じ濃度の恐怖を抱えたまま、暫らく固まっている。今いるこここそが現実なのだと自分で自分を説得することができかけたとき、私は漸く、「夢でよかった」と思いながら、それでも恐ろしくて泣いていたりする。

 最近の私はとても夢見が悪い。今に始まった事ではないけれど、この間カーペットの上で転寝をした時、夢の中の私は大事そうに何かにキスをして毎晩眠っていた。何がそんなに愛しいのか、キスしているものが何なのか私にもわからなかった。ただ食べてしまいたいと思うほどそれが大事で、すぐそばに置いて眠っていた。
 夢の中で時間がたつにつれ私は何かを思い出した。少しずつ、私は忘れていたという事自体を忘れていくように何かを思い出し、そしてそれに何の衝撃も受けず過ごしていた。とても自然に、私が毎晩大事にキスをして眠っていたものは確かにもう人間の色ではなくなった誰かの指だった。私は確かに誰かの指を口に銜えて、それを噛み切り、捨てることもできず持ち帰って、ベッドに運んで一緒に眠っていた。変色した誰かの指にキスをして大事そうにそばに置いて眠っていた。
 私はそのことを自然に思い出していた。だからといって、指にキスをせずに眠るようになったわけでもなし、それを恐ろしく思うことも、誰の指であったのかと考える事も無かった。知らないうちに私が誰かの指を噛み切ったことは事件のようになってしまって、私は誰かに追いかけられた。そのころ漸く私は自分の持っているものと、自分のしたことが大変なことであると気付きはじめた。根元から噛み切られた指は酷く変色していて、腐っているのかもしれなかった。それに口付けたり、大事に持っていることは、「おぞましいこと」であるのではないかと気付きはじめた私は吐き気を催した。その時完全にそれがおぞましいと私は理解できていなかった。理解できてはいなかったけれど、みんなは「おぞましいこと」であるとしているということは、理解できていた。
 夢の中の私は指の持ち主の、のろいのような幻にとらわれて苦しんでいた。私をつかまえようとする誰かは確実に迫って、私の腕を掴んで、声をかけ、何かを喋って、私に何かを喋らせた。私は指をどうすることもできず、どうすれば誰にも知られずにそれを消すことができるのか、追詰められながら考えた。答えは出なくて、苦しかった。
 指の持ち主のイメージに苦しめられて、それが限界に達したところで私は目を覚ました。
 
 書いたことが凄くどうでもいいことになった。夢の内容なんてかきたいわけじゃなくて、夢と現実と、夢がいかに現実であるかをかきたかったのに。
 あと、母が漫画を読むときの、「読み方」について書きたかった。私は母の読み方を羨ましく思う。

***

夢というものが、ただの夢であるといえるわけなんてないって私は思う。なぜかって、夢は「現実」だ。夢という言葉は現実を霞ませている。夢という単語だけで、現実とはほぼ対極にあるような、そんなイメージがあたりまえのようにあてがわれる。
確かに、夢は夢だ。夢という名前がついている時点で、夢のなかの現実という単語を全否定する理由さえできる。ただ夢は確実に現実を孕んでいると私は感じる。現実というより、リアルだ。現実=リアルとすることができるかもしれない。けれど私が言ってしっくりくるのは、いや、むしろ多くの人がしっくりくるだろうと感じるのは、「夢は現実である」という表現より、「夢はリアルである」という表現だろう。
リアルという言葉は、少なくとも私にとっては現実という言葉より、主観性が強く感じられるものだと思う。現実という言葉は客観性が重視されている、そんな気がなんとなしにする。私の捉え方が悪いかもしれないし、知識が足りないだけかもしれない。だけれど私にとって少なくとも、リアルという言葉は現実という言葉より、主観的で感覚的な感じがする。感じがするという時点で、感覚なのだけれど。

ただ少しひっくり返したりこねくりまわしたりしていると、現実がどれだけ感覚的なものなのかを急に感じたりするんじゃないかと思う。私は現実がどれだけ酷く感覚的なものであるのかを強く感じたはずなのに、それを今説明しろといわれると難しい。考えて書けば思い出せるのだろうけれど、今ここにかきたいのはそれじゃない。現実を感覚だと感じた瞬間、「これだ!」と思ったはずなのに、忘れてしまった。私ってすごく記憶力悪いんだ。

現実が感覚であるなら、夢は現実、リアルだ。

あああかきたいことからものすごくそれた、全然かきたいことがかけない。私の頭に、文章がおいつかない。忘れてしまう。書きながら忘れちゃうよ…全然思い出せない、なんでだろう。くやしいなあ、ほんとくやしいよ…

この世界が私の目を通して見える限り、世界は主観的だ。そして主観が客観だと認識するものが、現実的であるといわれているのではないかと感じる。だけどもし、今私の目の前に恐ろしい幻覚が見えたとすれば、それは私にとってリアルだ。夢だと感じることや、幻覚だと感じる事以前に、私には「恐ろしい」というリアルが、夢や幻覚だと俯瞰する視点もなしに、やってくる。
その点で、幻覚は客観のいう現実ではない、けれどリアルだ。主観にとってリアルなものは、主観にとって「現実」に見える。現実に見えるからこそ、現実でありえないとされるものを本気で恐ろしいと思うんだ。そして私の世界は私の主観で出来ている。私の主観が「現実」だと認識すれば、それが客観の見る幻だろうと何だろうと、私にとっての現実、私にとっての世界の「現実」となるのだ。
ややこしい言い方や、独我論のように見えるかもしれないけれど、結局なにが言いたいって幻覚に怯える人間は本気で幻覚に怯えるということ。それがまるで現実のように怯えるということ。そしてその人間にとって、幻覚は紛れも無く現実であって、恐ろしい幻覚という存在は恐ろしい私の夢、に繋がるということだ。
前置きが明らかに長すぎだけど、だから、私の夢の恐怖は、現実である。私が眠っている間、夢というものは、現実だ。夢という言葉だけで、今目を覚ましている私たちは「夢は現実」なんて言葉をばかばかしいと笑えるかもしれない。けど、私がお風呂で考えをめぐらせているときなんかより、ずっと、夢のほうが現実である。

夢で沢山の恐怖や、苦悩を味わう。今日、私は夢の中で子供を身篭った。そして、いのちを、痛いほど考えさせられた。それは私が母の苦悩を描いたドラマをテレビで見るよりも、ずっとリアルだ。そのテレビの内容を踏まえて私がお風呂で考えをめぐらせていたものより、ずっとリアルで、恐ろしくて、吐き気がして、きえたくなるほど苦しいものだ。それは幸い夢だった、夢は、時間とともに恐ろしさの中から私を救ってくれる。そこには恐怖はなかった、よかった、そんな気持ちで、私はどうにかまた生きていくことができる。
そして今目覚めている私が夢だと感じたことが、現実に起こらないことを願う。起こらないことが一番いい、だけど、私はそれを体験できたことを、恐ろしいとも、少し、よかったとも思う。いや、よかったなんて思わない、ただこんなにも恐ろしいものがあるのかと、新しく知る事ができたと思う。恐ろしいものを知るというより、なんだろう、考えじゃない、リアルを体験することができて、なんともいえない気持ちになる。それはよかったのか悪かったのかわからない。決して後味のいいものでもないし、できれば、知りたくなかったのかもとも思う。

私が結局今日感じたものは何だったんだろう。考えることと、感じる事って、偶におそろしく別格だ。何かを痛感すること、痛感するのが「夢」で、なんて、現実から見ればちゃんちゃらおかしいのかもしれない。
けど私は、夢のほうが、ただ考えるより、ずっと、現実だと思う。いま現実だとおぼしき場所にいる私がきいてもおかしくなってしまうような言葉だけど、でも、現実の思考より、夢のほうがずっと現実で、――ああ私は今泣きそうだ。おそろしい。
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